『飛騨の中世』を読み直す

『飛騨の中世』はタイトルを見て鉱山関係の論文にしか目を通していなかったが、読み直してみると意外なところに意外なことが書かれていたりすることに気が付いた。

特に寺院に関係するところなんかに・・・例えば内ヶ島氏が飛騨に入ってきたのは寛正年間(1460~1466年)頃とされることが多いけど、1400年代初頭の文書に内ヶ島の名前が出てくる。これは元々内ヶ島氏は1411年の応永飛騨の乱に信濃小笠原氏の旗下の武将として飛騨に入ってきていたことを示す証拠・・・になるかもしれない(著者もこの内ヶ島氏と後の白川郷の内ヶ島氏が同一かはこの時点では決定していない)。

浄土真宗の本尊裏書についても今後の調査のヒントになるようなことが書いてあるなあ~ いっそ全巻買ってしまうかね?

そろそろ計画を

そろそろ六厩の鉱山探索の計画を練らないとなあ・・・

山頂部の日陰に雪が多少残っているくらいがベストなんだけど一日で行ってこられるのか? それとも現地で一泊かなあ?

コースもいくつか考えられるのでそろそろ下見がてら現地に通うかな?

7/24

7/24・・・って書くと年中無休24時間営業みたいだが、そうではなくて

www.town.minobu.lg.jp

 第21回 湯之奥金山博物館杯・砂金掘り大会 2021年7月24日(土) 開催!

 そういえば混ぜる砂鉄が無いって言ってたなあ。採りに行かないと。

馬瀬郷の支配者は?

松谷金山や照蓮寺の有力な末寺である楢谷寺のある戦国時代の美濃国馬瀬郷(満世郷)。ここの支配者は?・・・漠然と三木氏だったであろう?と思ってはいたが、根拠はなんだっけ?

『きよみ風土記』を読み直していたら楢谷の鷲見氏、大原の小池・二村氏らの郷士が金森氏の飛騨侵攻に際して三木氏旗下として戦っている・・・ということは下呂方面から馬瀬川沿いに川上郷との境までが三木氏の支配下だったんだろうなあ?金山(かなやま)地域もそうかな?

松谷金山開発の祖である前田氏*1金森侵攻後一度大原を去っているので地域一帯が反金森勢力として戦ったんだろうなあ~

*1:当時は寺に入っていたとはいえ元は武士であったし、一向一揆勢でもあったであろう