曲げわっぱ

K村さんが某所で紹介していた*1・・・のとは別のPDF
http://www.city.shizuoka.jp/000061237.pdf
p.56 南アルプスの金山の歴史

砂金を選別するためのユリボン(卵型の曲物の鉢、写真1左)などを使って採ります。小河内では、このユリボンの他、種々の水替え柄杓・曲桶が必要であったため、曲物(ワッパ)作りが盛んになっていきました。この曲物の技術はその後も受け継がれていき、江戸時代末期になって 漆塗りの技術が伝えられると、「井川メンパ」と呼ばれる弁当箱が作られるようになりました。主にヒノキが用いられ、トウヒ、シラビソなども利用されました。木をよく乾燥させてから木地を薄くし、丸めてヤマザクラの表皮を使って縫い綴じました。下地に柿渋をぬって防水・防腐効果を高め、仕上げは漆塗りを施しました。

静岡県の井川地域だけでなく山を越えた山梨県の西部あたりも揺り鉢・揺り盆の類はこの曲げわっぱタイプだったようで・・・ まあ、大きな木の板も必要無いし、製作時間も揺り板タイプに比べれば短かったのでしょう。細かい砂金の回収には難アリだったかもしれませんが・・・

金が産出する理由としては、プレートの沈み込みに伴って、地下で温度が上昇し、四万十帯の地層や周囲の岩石に封じ込められていた地下水が熱せられ、周囲の金属成分を溶かし込みながら割れ目を伝って上昇し、途中でその中の成分を沈殿させながら固まったものと考えられます。

ここでは造山帯金鉱床的な成因で説明されていますねえ。