米式

http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20120913
注文していた「今金町 美利河遺跡1・2砂金採掘跡」が到着したので読んでいる。
p.35-36 史料8 博士ブレーキ報文摘要 W・P・ブレーク 明治四(1871)年 によれば
1862年(文久2年)8月、ブレークは後志利別川の砂金地に調査に入った。(中略)日本式のムシロを使う採金方法は小規模な場合には良いが、カリフォルニアなどで実績のある方法には劣るのでスルースボックスとロングトム(原文では“樋”と“ロング、トム”)を作らせた”*1・・・とある。
ふーん、明治30年代、枝幸のゴールドラッシュ時に導入されたと言われていたスルースボックス、実はそれより40年ほど前に蝦夷地(国縫産金地=後志利別川流域)に導入されていたのだな〜 その後使用されなかったのは江戸幕府の終焉によって(採取も打ち切られ)技術が引き継がれなかったのか、若しくは利別川流域の産金量が減って、一旦蝦夷地の砂金採取が下火になったから・・・とかそういった理由なのかな???

*1:要約