灰吹銀から金(?)

うーん、もう「国内の金銀分離技術を遡るシリーズ」とか名前をつけようか・・・

日本鉱業発達史 上巻1」p.378

慶長六年(紀元二二六一)徳川幕府は灰吹銀の品位を一定するため銀座を置きて之を精製したる事あり

“灰吹銀の品位を一定に”ということは、既に灰吹きした銀中の、おそらくは金を抽出するということだろう。金銀分離の方法で、Au/Agがどのくらいであれば焼金法を用いる、または鉛と硫黄を使った吹き分けをするかあまり考えたことはないが、灰吹銀のようにAgが多ければ吹き分ける方がコスト的に有利であろう(焼金法で銀を塩化銀化するのはなかなか大変だと思う・・・)。とするとこれは慶長六年(1601)には吹き分け技術があったということ・・・だろうな。

先週末、ある専門家の方に佐渡や石見には金銀分離に関するもっと古い時代の文献があることを示唆された・・・が、なかなかそこまでは手を出しにくいなあ。古文書かもしれないし・・・