「黄金山産金遺跡−関連資料集−」

「黄金山産金遺跡−関連資料集−」(宮城県涌谷町)
渡辺萬次郎曰く朝鮮半島南部の砂金産地と涌谷の谷はよく似ていて、また、朝鮮半島からの帰化人たる丈部大麿や朱牟須賣は朝鮮半島の砂金産地での経験から涌谷に砂金があることが想像できたのであろう・・・と、している。実際に金を発見したのが丈部大麿や朱牟須賣だとして、果たして彼らは朝鮮半島の砂金産地での経験があったのだろうか? 百済王敬福を例にしてみれば、彼は帰化人とはいえ日本で生まれ育った百済系n世。丈部大麿や朱牟須賣が帰化人の一世ならばともかく、異なる風土で数世代を経過した世代だとしたら砂金採取の経験などは伝承が困難なのではないだろうか?
さすがに丈部大麿や朱牟須賣(またはその先祖)がいつ日本に渡ってきたかまでは少なくともネット上ではよく分からないんだよな〜