金銀吹き分けと「伏見城蔵納目録」

伏見城蔵納目録」を眺めていて気がついたこと。
越後黄金山からは大量の金(1124枚4両1匁4分2厘)が運上されているにもかかわらず、運上された銀の項には「越後」からの運上は無い。越後黄金山は浅熱水型の金鉱床と言われているから、産出した自然金のうち40wt%前後は銀だったはずだ。 ここから金銀吹き分けが行われていれば70kg弱の銀が得られて運上されていそうなものだが、記録に残されていない。
ということは、「慶長2年の時点では・・・少なくとも上杉景勝領では金銀吹き分けの技術が導入されていない」と言えるだろう。 もしかして“金銀吹き分け技術の導入時期は慶長年間”という記述を見かけるのはこういうロジックによるものなのかもしれない。