空白の3日間

榎本武揚〜空白の3日間〜」と言う小説が・・・あった訳ではなく、榎本武揚のシベリア行中3日間の記録が現存しておらず、しかもよりにもよってそれが砂金地に出かけた時の記録だと? http://www.for.aichi-pu.ac.jp/~kshiro/orosia16-7.html

記録がないので地質的な記述などが分かるわけではないが、榎本が何を目的にクラスノヤルスク近郊の砂金場を見に行ったのかが推測されていて、それは当時日本に導入されていなかったトロンメル式の洗金機だったという。

クラスノヤルスクの榎本武揚―ダツィーシェン博士の論文とその発見資料に基づいてー 市 崎 謙 作 Ⅲ. クラスノヤルスクの榎本武揚(まとめ) Ⅲ(3) 8月21日 より

「ボチカ」が「トロンメル」だとしたら、それは、小型のコンクリート・ミキサーのような樽型あるいはドラム型の成形された篩であって、やや斜めに据えて回転させ、その中に砂金を含む砂礫層から採取した粗採鉱石を入れて大きな岩石や砂利を取り除くものである。回転するボチカ(トロンメル)の中には同時に水を注ぎこんで、岩石や砂利を取り除いた砂金混じりの細かい鉱石を長くつなげた樋(英語でいうsluice box流し樋)に流し込む。その際、水量をうまく調節すると、比重の重い金を樋の途中に沈殿させて、不要な土砂は捨てることができる。前ページの図(5)に、現代のやや複雑なgold wash plantの構造を示しているが、榎本が観たトロンメルは、回転する部分がもっと簡単な形状をしていたであろう。しかし、構造的には似たようなものであったのではないだろうか。
要するに、上射式の水車を利用してトロンメルで粗洗鉱し、砂金を含んだ細かい土砂を水で流し樋に流し、砂金を沈殿させて採鉱する設備だったのではないかと思う。榎本の観察では、水車やボチカを利用したポルヤーノフ砂金採取場における砂金採取設備は、構造は簡単なのに比較的能率よく作業できるものだったのであろう。そこで榎本は感心し、「日本ではこうした機械が用いられているのを見たことがない」と感想を述べたのであろうと思われる。

榎本の見たトロンメルは結局この時代(1878年頃)の日本には導入されることなく終わっている・・・と思う。そもそもトロンメル自体、昭和になってからウソタンで使われた例*1以外の導入事例ってあるのかなあ?

*1:これは単なる回転式篩ではなく、回転型スルースボックスだったのだと思うのだけど?