網地金山

網地(あじ)金山
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宮城県石巻市地島にある浪入田浜(なみだはま)周辺では江戸時代、金の採掘が行われていました。別名「浪入田金山跡」とも呼ばれています。
古くから採掘は行われていましたが、大規模に採掘を行ったのは、仙台藩伊達政宗(だて まさむね)の時代で、1596年(慶長元年)から1615年(慶長20年)頃まで行われていました。
その後も採掘は継続的に行われ、昭和の初めには、三菱系列の網地島鉱山株式会社で約7万トンの鉱石[1]の採掘を行い、約10億円分の金が採掘されています。
また『牡鹿町史』によると、その後も網地島の人々は砂金を拾っていたことが記載されています。
浪入田浜に通じる途中に、開けた平地があり、その場所に当時は鉱山で働いていた人の家が約1000軒あったと言われています。浪入田浜には、今でも削跡がいくつもあり、当時の様子が伺えます。

もう少し詳しく。
http://ajisime.web.fc2.com/siseki/S-25.htm

 網地金山は網地地区の浪入田の集落周辺にあり、採掘は粟ヶ崎と琵琶首崎の間の谷地で行われた。採掘そのものはかなり前の時代から行われたいたらしいが大規模に行われたのは慶長年間(1596〜1615)の仙台藩の藩祖伊達政宗が行ったもので、その後は継続に行われ、昭和初期には三菱系の網地島鉱山株式会社も採掘していた。この時7万トンの鉱石が採掘されたが金の品質は10万分の一(1tの鉱石から10gの金)程度とされ、現在の金額にすると約10億円近くの金が掘り起こされた事になる。
 牡鹿町誌によると更にその後にも網地浜の婦人達が小遣い稼ぎに坑内に入って砂金を拾ったとも言わ、現在でも浪入田浜の砂からは少量の砂金も取れるが、昔のように小遣いに発展するかどうかは定かではない。
 それよりも海岸や山中には坑道跡の洞穴が点在し、万一落下した場合にが命も危ぶまれる危険な場所も多いとの事なので土地勘のない人はむやみに近づかないに越した事はない模様。
 浪入田の集落から浜に通じる開けた平地は、浪入田千軒長屋の跡と言われ、当時の鉱夫が住んでいた住居が建ち並んでいた場所とされる。

この鉱山は、昨年北海道地質研究所の蔵書を見たときに記載があったかもしれない。資源調査報告書かな? 行ってみたいな〜

車の航送料金は距離のわりに高額・・・
http://www12.ocn.ne.jp/~ajishima/about.html
まあ基本、島内住民の足がわりなんだろうけど・・・


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