酒井忠勝・・・紛らわしい・・・

先日紹介の http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20140903 企画展が始まって・・・
http://sp.mainichi.jp/feature/news/m20140907ddlk18040215000c.html

戦後、若狭町熊川を流れる北川で取れた砂金(福井市自然史博物館所蔵)は12粒を展示し、最大で直径約5ミリもある。江戸時代には初代小浜藩主・酒井忠勝が金山開発を試みたとの記録も残る。若狭町の古墳から出土した馬具などの副葬品や、古代中国などで作られた銅製の仏像にも金が施されている。

ん? 酒井忠勝といえば、山形県の瀬場と長野県の洗馬を繋ぐ(かも知れない)人物 http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20130301。・・・というのは間違いで・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E5%BF%A0%E5%8B%9D “せば”に関係する酒井忠勝は一時期松代藩主を勤め、その後庄内藩主となった方の酒井忠勝なんだよね〜
とはいえ小浜藩主の方の酒井忠勝もやはり金山開発に関わっていたというのは面白い。いや?どこの藩主も金山開発には積極的だったということなのかな?