鉱山技術者の移動

信州の“せば”から庄内藩の“瀬場”へ、領主酒井忠勝の転封に伴って砂金採集を生業とする“せば衆”が移動した件。 信州の“せば”が現塩尻市内にある洗馬地区だとすると、松代藩主だった酒井忠勝が松本藩または高遠藩内に居住していた人々を伴って移動していったことになり、こういう人の移動というのが普通にあったことなのか疑問だったのだが・・・

けんさんのブログを読むと、
http://blogs.yahoo.co.jp/kengoldjapan/63421410.html#63421546

豊後国(ぶんごのくに)の日出(ひじ)木下藩主宛に
『 金山發見とその開発のために熟練鑛夫30名位をぜひ譲ってもらいたい 』
という親書を送っています。

一般山師と区別されて好待遇だった様です。
現在も子孫の方は山ヶ野一帯の住んでいる様です

鹿児島の山ヶ野金山開発にあたって馬上金山の鉱山技術者を領主に依頼して譲り受けるということがあった・・・と読める。 洗馬でも同様のことがあったのかもしれないなあ。