「越中七金山」歴史を紹介

河川勾配が急な為か、砂金産地としては知名度の低い富山。金山自体も一般には知られていないのだけど・・・
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/T20151206203.htm

越中七金山」歴史を紹介 魚津でジオパーク協会講演会
2015/12/06 02:48
 立山黒部ジオパーク協会の第5回「大地を探るリレー講演会」は5日、魚津市の魚津埋没林博物館で開かれ、富大副学長の清水正明理学部教授(62)が富山県内の金山をテーマに話した。

詳しくは
http://blog.livedoor.jp/kurekami/archives/47129780.html

講演?県内金山の紹介、越中七金山のうち、松倉・河原波・下田・虎谷金山を解説。鉱石ではサンプルを回覧して見せてもらいました。「ヘ〜、これが金なんだ」と、皆さん手に取ってしきりに感心。

話は勢い「加賀藩のドル箱」であった松倉金山が中心に。松倉の鉱石は次の写真「北海道千歳」のような形状だそうです。

応永年間(1394〜1428)に発見、最盛期は慶長年間(1596〜1615)。講演会チラシによれば松倉”金山は、佐渡金山より産金量が多かった時期もあり,加賀藩の財政を支えました。”としています。以前の北日本新聞記事でも、その立場で書いていました。しかし、歴史関係者に聞いてみますと、「なかなか断定できないのでは〜」と言う。
念のため小葉田淳「松倉金山」『越中史壇(6)』(1955年)チェックします。”運上高の信憑の程度であるが・・・無限のものとは考えない。”としながら”慶長時代の松倉の盛大は、実に想像をこえたものがあった。”と、微妙な表現になっています。
坑道の図について、佐渡の図をコピーしたと佐渡側で盛んに言っている。これに反論できないでしょうかと清水さん、参加者に宿題投げかける。

こういうイベントが開催前にわかるとよいのだけど・・・