武寧王の冶金技術

http://www.expressnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=77573

이날 최석원 전 공주대학교 총장은 ‘무령왕의 금(金) 이야기’를 주제로 강의를 펼쳤다. 최 전 총장은 이날 “기록상으로 보면 백제 285년 일본에 야금술(冶金術)을 전한 기록이 있고, 조선광산지에 공주의 우성면 지역 등이 기록돼 있으며, 1989년 우리나라 사금광 광구 등록 현황에도 공주는 6곳이 등록돼 있다”고 말했다.

  この日催席院の前公州大学校総長は ‘武寧王の金(金) 話’を主題で講義を広げた。 催前総長はこの日 “記録上に見れば百済 285年日本に冶金術(冶金術)を伝えた記録があって、朝鮮鉱山誌に公州の牛城面地域などが記録されているし、1989年我が国の砂金鉱鉱区登録現況にも公州は 6ヶ所が登録されている”と言った。
・・・という意味らしい。(もちろん機械翻訳だ。)

百済暦(?)285年が西暦何年相当なのかはよく分からなかったが、武寧王の在位が西暦502〜523年 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%A7%E7%8E%8B だからこの間のことだろう。 さて、この時伝えられた“冶金術”とは何だろう? 時代は少し後れるが、奈良飛鳥池工房遺跡(7世紀後期〜8世紀)で出土したような金の加工技術なのだろうか?