水路

発掘調査の続く佐渡・西三川
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/local/20161028288101.html

発掘調査現場は、砂金山の中心地笹川集落にある国史跡「金子勘三郎家」に隣接する約300平方メートル。本年度から調査を始めた。
 15日の説明会では、水路で砂金を採取していたとみられることや、調査地は18世紀ごろの土地造成で屋敷地に変わり、2棟の建物跡があったことを紹介。唐津焼伊万里焼など1590年代以降の遺物が多く出土したと説明した。
 笹川集落は、上杉景勝佐渡へ侵攻した1589年ごろには金を上納していたとされる。現場近くには1590年代の創建と伝わる砂金山の繁栄を祈った大山祗(おおやまずみ)神社もある。今回の調査では遺物といった具体的な物証が得られたほか、同時期ごろには砂金を採取していたと推定された。

芝金を採取した水路跡というのは、水路自体に存在した金が重要なのではなくて、周辺から運んだ土砂を樋なりねこなりで処理した“場”として重要な意味があるのだろう。
北海道などの芝金採掘跡はこのような水路が何本も平行に走っているが、この間の土砂はどう処理されていったのかは非常に興味があるところ。未採掘ってことはないはずだが・・・