90年代、ギニアの砂金鉱開発

90年代、ギニアの砂金鉱開発の様子・・・今では大分開発が進んでいるかもしれない。

ギニアの蜂蜜と黄金」
http://www.yorozubp.com/0207/020710.htm

 国際的な規模の産金会社から見れば、当社の現場はかなりちゃちな操業風景ではあるのですが、それでも、ごく一般の、金鉱山をご覧になったことのない普通の日本人の目から眺めれば、それなりの規模に思えることは確かで、ことに、移動させている土砂の量は、ちょっとした土木工事のイメージをはるかに超えているものではあります。
 これまでの採掘作業は、あくまで漂砂鉱床を対象としていて、大昔――人間がまだ登場していなかった頃でしょうか、この地が形成されたある時期に流出して堆積した金を含む層を(この地では2-3mの厚みなのですが)、地下のある深さから掘り出して水でただ洗うだけの、単純なそれでもやさしくはない微妙な技術も要する、露天の土砂クリーニング業、といった類いの仕事になっています。

 ◆黄金にまつわる伝承

 流出した金を含む堆積層があるということは、さほど遠くはない場所にその源があるはず、というのは当然の理屈。ついでながらその金鉱床を確認してみたい、という遊び心もあり、私めは民俗学者をまねて、まずは何人もの古老と話しこんでみました。
 ――昔はたくさん金が出たけれど、それは村人のためにならないからずっと立ち入りを禁止している、とか、精霊がその山を守っているから入ってはいけないことになっている、とか、あるいは金はたくさん出るけれど、水が多いから村人の採掘技術では作業ができずに現在は放置されている、などの貴重な情報はいろいろあって、時間を見つけてはそれぞれの山(丘)を訪ねてみました。山によっては、ニワトリを生贄として持参し、土地の信仰(おそらくはイスラム教が入り込む以前の)にしたがって、山の木立に向かってひっそりと宗教儀式を行ったこともありました。その中には、いつの時代に掘られたものなのか、古老の知識にはない「採掘遺跡」もいくつか存在しています。
 これらの場所は、村人にとってはタブーであったとしても、異邦人としての私めにはタブーの効果は及ばない、という古老の解釈でしたし、むしろそこを案内することに積極的でした。その結果、けっして小さくはない金鉱床の存在が、現代の技術を使って、その一部だけではあるもののはっきりと確認できた今は、立ち入りを許してくれた山の精霊や村の古老らに、おおいに感謝しているところです。

これは『金鉱山からのたより』とやらの一部なのかなあ? 読んでみたいけど、少なくとも一まとめにはなっていないようで検索が大変かも?