福岡から山梨へ・・・

http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20170926 の続き・・・
山梨県秋山村(現 上野原市)の金山(かなやま)金山の沿革は http://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/8841/6670_1_%E9%87%91%E5%B1%B1%E9%87%91%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1.pdf によれば、

この地に住む星野家の伝承(『南鶴神社誌』「御由緒」) によれば、採掘の開始時期は応永年間(1394〜1427)にまで遡る。
南朝の遺臣星野正実が開発したと伝えられており、そのため星野金山ともいう。

この星野家、現 福岡県八女市星野村を支配していた星野一族なのだろうけど、現地に残った一族もいるようなので、なぜ星野正実(またはその先祖)だけが山梨まで落ち延びてきたのか・・・?
星野村史 産業編』を見ると『星野家譜』というのがあるそうなので、これには星野正実に関しても記述があるだろうか? いや、出て行った人間のことは書かれないものかな? リンクしていれば面白いのだが。

うーん、書き始めてはみたもののなんだかよくわからないな〜