「白川年代記」を読んだが・・・黄金83両の献上は?

garimpo.hatenablog.com

 

荘川村史 下巻』に「白川年代記」が収録されているので借りてきた。さて「白川年代記」は3部存在してそれぞれ記述が異なり“三者照合することによって、白川郷の歴史の概要を知ることができる。”ですと。

で、村史に収録されているのは3部の内の“益戸本”と”三島本”の2部。石山合戦の期間はWikipediaによると元亀元年9月12日(1570年10月11日)から天正8年8月2日(1580年9月10日)ということなので、当該期間の関連する記述を読んでみると・・・

”三島本”はあっさりで、

天正)四年 丙子 

本願寺顕如上人大坂石山在城信長合戦

 

八年 庚辰

大坂本願寺鷺ノ森へ移玉フ

 のみ。

一方“益戸本”は

天正)同 四年丙子(1576)

本願寺顕如上人大阪石山ニ籠、信長ト合戦。

 

同 五年丁丑(1577)

中野照蓮寺善了大阪石山加勢ニ発向ス。郷中武勇ノ人ヲ撰(エラミ)、御供三嶋正厳(マサナリ)其子正隆(マサタカ)、故石雅殷(フルイシマサシゲ)、保木脇宗左エ門八十餘人、大阪在陣三年。

 

同八年庚辰

大阪・木津・難波ノ城を渡シ、本願寺顕如上人紀州雑賀へ移リ給フニヨリ、照蓮寺善了帰国、三嶋正厳、故石雅殷三十余人白川ニ帰ル。

なるほど、これが『嘉念坊善俊上人 ― 念仏の伝流 ―』の引用元だな。でも、黄金83両を献上した話は出てこない。

可能性としては

・「白川年代記」の惣則鈴木家に与えられた1部に書かれている

・引用元が『嘉念坊善俊上人 ― 念仏の伝流 ―』ではない、例えば石山本願寺側に伝わる文書から・・・とか?

さて、この後どうやって調べるかな~?

 

2020.3.28追記:三嶋正厳、故石雅殷は天正元年まで内ヶ島家臣、その後帰農。4年後に今度は照蓮寺の配下として石山合戦に参加したわけだ。“郷中武勇ノ人”というのは元は武士だった人が多かったのかもね?