魚津市の角川上流は先日案内してもらったが、その時通った角川ダムの上流には・・・
資料『村の記憶』によると、元々は角川沿いに7、8戸。上流の松倉(まつくら)金山から流れ出る砂金の採集をして暮らしていたが、川の氾濫や砂金の減少により山中に移住、農業(田)と炭焼きに転向した。昭和10年代初め5戸、戦前4戸、戦後間もなく2戸が断絶したが新たに2戸が転入。のち3軒が転出し最後の1軒がしばらく残ったが、昭和43年に無人化。集落由来の姓は金井(かない)・金石(かねいし)・金平(かねひら)といったように「金」がつき、筆者は砂金採集を生業としていた歴史と関連づけて考察している。
宇都呂(うつろ)集落ってのが昔はあったのね。 次回は気を付けて見てみよう。