古い『パハヤチニカ』の記事に砂金の話が・・・
北上川の一支流で遠野郷の母なる川、猿ヶ石川。この川の支流のそのまた支流に小さな沢が流れ込んでいる。
標高はおよそ700メートル、国道を少し登れば峠をこえて隣村に至るというそんな山中の沢である。
この沢の名をカナホリザワという。漢字をあてれば「金掘沢」。
沢は小さな集落のはずれにある。その集落に、都会者からみれば、ひとりの賢者とも仙人ともつかぬ老人が住んでいる。もっとも本人が聞けば賢者だの仙人だのは言下に否定するに決まっているし、老人という言葉もその人を知るものからすればまったくもって相応しくない。
だいたい、老いた、という印象をまったく受けない。老いてなおカクシャク、という言い回しもそぐわない。この人の語る言葉のなかにはユーモアとアイロニー、合理と不合理が共存し、ひとつひとつの語りが具体的な経験に裏打ちされた知識にあふれている。好奇心といたずら心で目が輝く。遠野のホラ吹きを笑い飛ばしつつ、もっと大きなホラを吹く。
であればなおさらのこと人から見れば賢者であり仙人ではないか。
その人は親しい人から”トックォンチャ”と呼ばれている。すでに喜寿を超えている。
この話はトックォンチャと同行し、見聞きしたカナホリザワでの砂金掘りの話である。●ほれ、こまかですけど、さっきよりはなんぼか粒が大きい
砂金掘りの現場は、幅3メートル程度、流れのゆるやかな沢である。あたりは雑木林。沢の水量は昔にくらべずいぶん減ったという。昨今水量が減ったのは、成長するとき水を大量に吸収するカラマツが山に植林されたためもあるのでは、とトックォンチャは推理する。
トックォンチャは砂金掘りの七つ道具をもって沢におりる。そのなかに直径およそ60センチ、今風のたとえでいうとコンタクトレンズのような形態の木製の道具がある。トックォンチャの七つ道具。
「は、この道具がすか。これゆり板っていいやんす、これはトチノキだと思うが、一枚板でやんす、むかしはふつうでやんすから、こういう太いのは。」
トックォンチャ所有のものは、昭和11年、支那事変の前年、ここの金山が閉山するときに譲り受けたものだという。
沢に着いたら、まずそこが砂金のある沢かどうかを調べる。
「たとえば知らない沢さいって、砂金を掘ろうと思ったときに、まずもって、砂金があるかどうかいちばん簡単で、わかりやすい方法は、沢の流れが、こう曲がってやんすな、流れの外側はあんまりないんでやんす、内側の方によくあるんでがんす。沢の土手の草の根に砂金がよくついていることがあるんす。砂金があるかねえかっつうことを見るためには、この草の根っこを沢の水さつけてゆり板でゆするんでがんす。」
そう言いつつトックォンチャは草の根の泥をゆり板に落とし、その泥を丹念に沢水で洗う。
これ、岩手県立図書館石鳥谷の図書館でコピーを取ってきたはずだが、内容忘れているなあ・・・
さて、この記事にあるカナホリザワはどこだろう?