飛騨の金山の位置づけを

(中世)飛騨の金山の位置づけを考えてみたり・・・

例えば涌谷・武茂・田子の浦の産金地が奈良の大仏建立のタイミングで歴史上に現れてきたように、産金史何らかの位置づけができる金山なのか、あるいは全国各地にある多くの戦国期の金山開発時代における金山の一つでしかないのか?

何度か書いているように、本願寺との関係性で語ることができないかなあ?と考えているけど、関連する北陸の金山と寺院の調査が必要だよなあ〜 今年はそこに絞って調査をしてみようかなあ。