柴金:河岸段丘ー坑道タイプ

https://confit.atlas.jp/guide/event/mmij2023a/subject/3K0201-09-04/date?cryptoId=

山梨県身延町の門野集落に通称「かねんば」と呼ばれる砂金鉱床採掘跡(柴金遺構)が残る。温泉が湧出し、近隣には公共温泉施設も建てられているこの周辺地域は「湯平」という地名が残り、戦国時代に開かれたという「湯平金山」の存在も伝えられる。大城川に注ぐ湯沢川はこの集落の中心を流れ、その左岸にこの砂金採掘跡を見ることができる。しかしながら詳細な史料は無いに等しく、地元でもその歴史は詳にならぬまま現在に至る。
 これらの金山と同様、詳細はわからないが、採掘跡の現場を確認することができる数少ない柴金採掘遺構「かねんば」について、このほど3次元データ測量により形状測量を行った。

あまり身近ではないが、このタイプの柴金遺構もある。河岸段丘の含金礫層を坑道掘りした跡だ。

つまり柴金の分類として・・・

 

柴金ーーー 河岸段丘タイプ -流し掘り(例:飛騨、東北、北海道)

    |         |-坑道掘り(例:身延かねんば、大井川流域金穴、東北)

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    |ーー風化残留タイプ -露天(露頭)掘り(例:長野県金鶏金山)

               |-坑道掘り(例:北海道北ノ王鉱山)

こんな感じになるかな? 流し掘りも坑道掘りも両方という金山もあるようだけど。北ノ王もたぶん両方。

「砂白金はマントルからの手紙である」

こういうのは先に言った者勝ちなところがあるので、昨日車内で出た会話を書いておく「砂白金はマントルからの手紙である」

もちろん元ネタは「雪は天から送られた手紙である」(中谷宇吉郎)なのだけど。

マントルの枯渇度で砂白金がプラチナ系になったりイリドスミン(オスミウム)系になったりするので適当な事を言っているわけではないよ。

栗尾柴金遺構再訪

今日はO本さん、N村さん×2と栗尾柴金遺構を再探索(K村さんは砂金探しに~)

信号機カラーで川まで下る三人。

そして対岸の崖登り

・・・が、残念ながらO本さんは、崖を登れずに川で砂金掘りに変更(落ちたら死ぬから仕方ない)。

3人で崖を登って柴金遺構へ。

水路跡で金属探知機をかけるN村さん。

 

私とN村(K)さんは北側の人工的な地形を探索に行く・・・

現れたのは50m以上続く石垣水路や

2段になった石垣の列

いずれも柴金採掘とは関係が無さそう。水が多ければワサビ栽培でもしていた?とも思うが、少なくとも現在は水が少ない・・・柴金採掘後にここに住んでいた人達は何を生業にしていたのだろうか?

川根 小山の柴金遺構

島田でN村さんを拾って大井川沿いを北上~

待ち合わせまでに時間の余裕があったので、寄り道して小山の柴金遺構を探索してみる。

駅の上が遺構だと聞いていたので手近な踏み分け道を登ってみる

 

5分ほど登ると

お~、これは分かりやすい柴金遺構だ。

夕方、帰り道にも他の方々も連れて再訪

 

ここまで玉石の多い柴金遺構は珍しい。普通は表土に埋もれている石が多いのだが。

ただ、溝状の水路跡?全体にも玉石があるのは???水路跡ならそこはねこ流しをした跡だろうし、そうでない溝状の地形だとしても盤まで土砂を掘り採った跡で石が多く残されているのは疑問だ。長年のうちに両側の石積から崩れてきたものかなあ?