誰だろう? フランク安田?

1898年発行の地学雑誌(?) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/10/12/10_12_683b/_article/-char/ja/ URLを見ると1889年発行のように思えるが、入力ミスのようだ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/10/12/10_12_683b/_pdf

●アラスカ在留日本人
アラスカ在留日本人は大約五十名にして、男子は當地方一般の習慣として、重に家内向き勞働、 即ち料理人、給仕、皿洗ひを職とし、

そういえば新田次郎の『アラスカ物語』に出てくる“ジェームス・ミナノ”は物語中でも料理人をしていたなあ。

他の日本人二名は、昨三十年の夏米國人と共に砂金坑發見を目的としてドーソン市に向ひ、内一名は既に相當の砂金坑を發見所有すと傳ふる者あり

日本人二名が安田恭輔とジェームス・ミナノ、アメリカ人はトーマス・カーター? ドーソンシティに向かったというのは・・・まあ、誤認があったとして・・・
しかしカナダ、ドーソンシティのボナンザ・クリーク発見が1896年(明治29)で、安田恭輔一行の金鉱探しの旅は1906(7?)年かららしいので発見は1905年夏のことだそうで、やはり別人みたいだなあ・・・もう一度アラスカ物語を読み直してみよう。
金鉱を発見所有したのが安田恭輔だとしても、そうでなかったとしてもこれは面白い話だ。

ちなみに和田重次郎が金鉱に関係してくるのは、この少し後らしい。
http://www.wadajujiro.jp/chronology/

1896年(明治29年) 21歳
秋、日本に一時帰国し、母に孝養を尽くす。


1897年(明治30年) 22歳
犬ぞりと狩猟の名手となる
アラスカに戻ると、原住民のイヌイットさえ恐れていた北極圏の奥地を探検し、犬ぞり使いと狩猟の名手となる。
氷に閉じ込められた二ューポート号をジェニー号に乗り救援する。救援の時、後のタバスコ王となるマッキルヘニー?世と知り合う。


1903年(明治36年) 28歳
毛皮交易商をしながらアラスカ・カナダで金鉱発掘をする。
特にフェアバンクスで金鉱を発見し、登録申請をするためにカナダのドウソンに駆けこむと、そのことが新聞記事に掲載され、金鉱を探し求める人々がどっとフェアバンクスに押し寄せ、アラスカ開拓史上名高い「タナナ・スタンピード」が起きる。