こんな場所にダムを

garimpo.hatenablog.com

先日書いた、つまりこんな川、こんな場所だ。ダムをつくってスルースボックスをかけたいのは

高低差も流速もほとんど無い、但し寄せ場からは近い場所。

砂鉄を50m運んでいたのが20mで済むのだから、かなり楽になる。実際問題としては、ここ(敦賀の浜)にダムをつくるとなると幅10mあって、結構人目につくのだ。砂金掘りをするのを見られるのは構わないけど、川を塞き止めてダムをつくっていたら・・・何か言われるかもねえ?

幅2~3mなら「何か川遊びしているな」で済みそうな気がするけど。

鉛汚染

敦賀の浜砂金をビンに入れて計量(写真中段)・・・0.27g

微細な鉛片が多くて、それを差し引くと?・・・と、そこが問題ではなくて、浜大樹でも思ったけど、海の鉛汚染って大変なことになってるんじゃないか?と。徐々に塩化、炭酸塩化等して削れて粉になっていっているのだろうけど、生態系には取り込まれていっていないのかねえ?

さて、浜砂金に混じった鉛片はパンニングで取り除くのは不可能。皿に出して筆や爪楊枝の先で取り除くのは・・・非現実的。

何かに溶かしてしまうのは?と、調べると硝酸とか熱硫酸ねえ・・・どちらも、こんな少量の浜砂金を処理するには面倒だし、砂金の色も変わるしねえ~、と当面は鉛混じりの標本ということで。

旧河野村河野の産金

さて、『福井県南條郡誌 全』には金を掘った記述もあって、旧河野村河野地区で

(河野)南の海岸に金掘りたる跡あり。

跡あり、ということは浜砂金じゃなくて坑道掘りなのか?それとも?

ここは敦賀の浜砂金産地の北側にあたるので、敦賀の浜砂金を見つけた人はこれをヒントにしたのだろうか?

とはいえ現在の河野地区は浜の発達が悪いので、試すなら海水浴場付近で、ということになるのだが・・・

旧堺村、鹿蒜村の金山

越前今荘黄金山とされる周辺には幾つかの金山跡がある(あった)ようで・・・

越前国名蹟考やそれを引いた『福井県南條郡誌 全』によれば南越前町の旧堺村板取地区に金山跡4ヶ所(以下、地図は越前国国絵図(貞享))

小葉田淳説(?)だと、ここが越前今荘黄金山とされるが、他にも

旧鹿蒜村新道地区に

目舞谷金山跡がある。

これらは現在のこの辺り?

北側の印が新道、南側が板取。

どちらも貞享の国絵図に記載されているので、どちらも今荘黄金山に相当する可能性はあるのでは?

改良結果は

https://garimpo.hatenablog.com/entry/2023/05/11/035656

改良結果は・・・

全面6角マット化は、最下段でも砂金を捕えていたので効果あり(そこまで砂金が流れてしまう運用の仕方は問題ではあるが)。

流心部分に土砂・水流を集めて流すように溝つきゴムマットを貼る工夫は・・・ちょっと効き過ぎかなあ?外側の幅5cmずつ、つまり幅27cmの内10cmの機能が死んでいることになる。

 

修正する方法は幾つか考えられるので、次回までに改良(また敦賀?それとも東北?北海道?)