1800年代末期の朝鮮半島砂金掘りの風景

朝鮮紀行」(イザベラ・バード/時岡敬子 訳)から読み取れる1800年代末期の朝鮮半島砂金掘りの風景・・・
底本であるイザベラ・バードの「Korea and Her Neighbours」は複数の訳書があるが、読んだのは講談社学術文庫版。
第八章 自然の美しさ/急流 p.144-145

この河沿いには少量の金が採れ、うわさでは、危険なチョニョルの急流のそばにある円錐形のオロプソ山には、金鉱があるけれども地方官吏が採掘を禁じているという。上流では何人もの男が選鉱していた。その器具はざるで、金を含む土をこれに入れ、深い木製のトレイの上で水をかけながらゆすって重い成分を通したあと、砂金を探しながらもう一度ゆする。採れた砂金はそれぞれ見張りをつけて土手に置いてある欠けたかめに入れる。土は河岸の重たい石ころの下を掘ったもので、岩盤に当たる約二フィートの深さまで掘りさげられている。六〇個から一〇〇個のトレイが一ブッシェル半[一ブッシェル=約三六リットル]に相当し、これから産出できる精製金はほんのひとつまみの量である。月に一六シリング以上稼ぐ選鉱夫はまれで、最良の金鉱で働いても、約五十シリングにしかならない。

1894年5月北漢江流域(ソウルから見て北東、先日訪れた地方もこの方面)・・・と、思われる、詳しい場所はよく分からない。
砂金掘りの方法は文章から読みとれるのは、陸掘りで、大きな石の下を岩盤まで60cm程度のところまで掘り下げるのだから、それほど堆積は厚く無い場所だ(職業砂金掘りにしたらば、の話で、自分で掘るのはちょっと嫌かも・・・)。 土砂はざるで篩って石は取除く。ざるの下にある“トレイ”はハムジなのだろうけど、円形か方形かまでは分からない。“板ネコや藁ネコ”の類は、少なくともこの現場では使われていなかったようだ。
砂金の含有量を見積もってみたいところだけど、仮定の要素が大きくなるからな・・・ 土砂100〜120kgに対し0.数g〜数gといったところだろうか?

金の装身具は朝鮮ではめったに見られず、美術工芸(このようなものが朝鮮にあるとして)に金が使われることもほとんどなく、金貨は存在しない。にもかかわらず、税関報告に見られように、おもに日本に向けて輸出される砂金の量は決してあなどれない。現に選鉱が行われていることから脈ありと見込まれる鉱山に、まだ本格的には手がつけられていない段階で、すでにこうなのである。鉱山業者が政府に支払う納付金は地方によってちがう。政府の許可なしに金を採掘するのは法で禁じられており、違反すると最も重い処罰を受ける。埋蔵量の大きい朝鮮の金鉱には、漢江から遠くない平康、大同江から遠くない平安道の金山*1がある。大きな選鉱所には例にもれず人間のくずが集まり、しばしば暴動が起きる。朝鮮人が金とトラ、いったいどちらの話題のほうで饒舌になるかは、甲乙つけがたいところである。朝鮮人は金の産出国であることを自慢にしており、その吹聴のしかたといったら、まるで土ぼこりが砂金であるかのようである!

先日韓国で話した金さんによれば、1〜2世紀の朝鮮半島には黄金文化もあったらしいのだけど、この時代には殆ど無くなっていたということなのだろう。
いずれにしても相当量の産金があったのだろうなあ。

*1:地名:クムサン