あった

伏見城蔵納目録は「日本鉱山史の研究」(小葉田淳)じゃなくて「鉱山の歴史」(小葉田淳)の方に載っていた。割りと内容がかぶる本だからどちらにも載っているものかと思っていたけど。

・・・改めて読んでみて不思議なのは結構砂金も採れたであろう九州からの運上の記載がないこと。慶長3(2)年だと秀吉の九州平定後だし載っていそうなものだけど?
もう一つは、産出高に対する運上高の割合が分からないところ。何割くらいなんだろう? これが分かれば産出高が計算できるのだが・・・