「ようこそ!地図に載らない小字地名の世界へ」

古い鉱山を調べたりするときに小字は重要・・・ https://garimpo.hatenablog.com/entry/20180723

でもネットで見る地図には普通載っていない・・・かな?

 

 

http://fffw2.hateblo.jp/entry/2019/04/30/173938

「ようこそ!地図に載らない小字地名の世界へ」

地名の最小単位「小字」

「字(あざ)○○」という地名の正体は、小字(こあざ)です。

小字を理解するために、先程の「字骨コボス」を例に地名の階層性を紐解いてみましょう。草津市上笠一丁目字骨コボス40番地 を分解すると下記のようになります。

  • 草津市 → 市
  • 上笠(一丁目) → 大字(おおあざ)
  • 字骨コボス → 小字(こあざ)
  • 40番地 → 地番

地図に載っている地名は(ほとんどの地域で)大字までです。

江戸時代まで歴史を遡ってみると、現在の大字のレベルには村がありました。明治時代に誕生する大きな村(行政村)と区別するために、江戸時代の村は便宜上「藩政村」と呼ばれます。

 

 

絵図に描かれている地域全体が上笠村、現在の草津市上笠です。上笠村の中をよく見てみると、道路(赤線)や水路(水色線)で囲まれた小さな区画がたくさんあることがわかります。面積はだいたい数町歩(=数ヘクタール)ぐらい。これらの小区画ひとつひとつに対して、松の木が生えてるから「松田」、集落の南にあるから「南口」、川の土手だから「堤」などと、村民たちは経済活動上の必要に応じて名前をつけてきました。このようにして先人たちが集落内の小区画につけた呼び名こそが「字」なのです。そして藩政村と字は、1889年の市制・町村制施行によって、それぞれ「大字」「小字」という名称になりました。

 

1873年明治新政府によって全国的に地租改正が実施されました。租税対象の土地を管理するために、土地には便宜的に番号が付けられました。地番です。

一村通し地番

多くの地域では、藩政村(=大字)単位で1から順に地番を採番していく「一村通し地番」が採用されました。下図のように、字免栗は23〜31番地、字四反長は32〜39番地、字骨コボスは40〜49番地、といった具合で、全体として同一地番の重複はありません。

一村通し方式の場合、地番の重複がないため「草津市上笠 字骨コボス 40番地」という土地は「草津市上笠40番地」でも一意に特定できることになります。今までは集落内の土地を指し示すのに小字が必要でしたが、通し番号が振られることによって小字の存在意義が薄れてしまったのです。

(補足)字別地番

東北地方や愛知県の一部などでは、地租改正のときに「一村通し地番」ではなく「字別地番」が採用されました。藩政村(=大字)単位ではなく各小字単位で1から順に地番を振っていくという方法です。この場合、大字内に「1番地」がたくさんあることになるので、小字を省くと土地を一意に特定できません。よって、字別地番採用地域の地図では例外的に現役で小字が使われ続けています。

 なるほどねえ~