金森長近による越前大野の金山開発 その1?

金山と関係のない飛騨の古文書を読んで眺めていたら・・・

「小池・二村連署由緒書」中に内ヶ嶋や金森、金山出来仕などと読める部分がある。

村史に翻刻文があるだろうと調べてみると

天正中越前国大野城に而庭籠に鷹之巣を懸候儀並同国郡に金山出来仕を、長近公公儀へ御注進無之付、城州伏見に而、太閤秀吉公より素玄法印暫蟄居被仰出候処、(以下略)

天正(1573-1592)年中に越前大野城主金森長近が豊臣秀吉に対し金山ができたことを届けないことによって蟄居させられた・・・というもの。

福井県大野郡の金山ねえ?先月石臼を見に行った阪谷とか堂嶋の金山か?と思って検索すると

大野市博物館・館長が新説を発表「平泉寺金山は隠し金山だった」(『歴史読本』新人物往来社様) | 戦国魂ブログ

【下記は14日付けの「福井新聞」様記事より】
岩井館長によると、隠し金山は武田家や上杉家などに伝説が残るが、史実としての記述はなかったという。長近は発覚後、処罰を受けており「戦国大名にとって良質な金銀山は、隠したいほど重要な存在だったと分かる」と話している説を導いた史料は、江戸後期から明治期の国学者、富田礼彦(いやひこ)の「斐太後(ひだご)風土記」。7巻に「越前国大野郡に金山出来仕(しゅったいつかまつ)るを長近公、公儀え御注進無之付」と記述がある。さらに「太閤秀吉公より素玄(そげん)法師(長近のこと)、暫蟄居(しばらくちっきょ)被仰出候處」と、閉居処分を受けたことも記されていた斐太後風土記は当時、高山代官所の地役人頭取だった礼彦が飛騨郡の史料を整理し、1869(明治2)年、岐阜県知事が発刊した。

あら、文言まで(ほぼ)一致。このことか~

岩井説によればこの金山は平泉寺金山だが根拠まではブログからは読み取れない。『歴史読本』2011.7を読めば分かるかなあ?岐阜県図書館まで行かなければならないが・・・

図書館行ったら『斐太後風土記』も見ておこう。出典が「小池・二村連署由緒書」なのか?それともそれ以前に一般的になっていた話なのかを。