砂金王に俺はなる!

「砂金王に俺はなる!」・・・とか、言ったかどうかは定かでないが、大正初期(?)の北海道の砂金掘り物語
http://www.aoisuisen.com/endoukehisi.htm

黄金の山は何処
 砂金が多く寄り集まり易い場所を砂金堀人夫は、”寄せ場”と呼んでいた。砂金堀人夫の長い経験と勘で、山が険しく傾斜が急な所よりも、なだらかな山間を流れる河川や沢などに砂金が集まるのを知っていた。 また、一般的には大粒の砂金は上流で産し、下流では小粒が集まるのも常識的に知られている。その”寄せ場”黄金の山を求めて、一獲千金の夢を追う山師の政市は、顔は泥まみれ、汗をかいて斑になって、虻に刺されて腫れあがり、鬚はぼうぼうに伸びもうだいである。 山を越え川を渡って来たので、衣服のところどころが切れ素肌がのぞき、その上泥だらけに汚れている。 五尺四,五寸(165センチ)の小柄に、ヤセ馬(背負子)に、砂金採取道具と食糧とテント、そして鍋などを山の様にくくり付けて、肩にはドイツ製元込水平銃をぶらさげている。 その様はまるで乞食が、ガラクタの全財産を背負って歩いている様で有った。

 昨夜の野宿も疲れたのか寝過ぎてしまった。 目だ覚めた時には、初夏の太陽がまばゆく輝き、既に真上近くまで登っていた。 今日も今日とて、その”寄せ場”を求めて歩く山の一日が始まった。 残飯で造ったニギリ飯に沢庵と目刺しで腹拵えが済んで、野宿の一人用テントを畳み、朝霧が太陽の光を反射してキラキラと輝く、熊笹を踏み分け、ヒルに手足を吸われながら、人の背より高く延びた葦のなかを川上に向かって歩いて行った。 時折「ギョギョシ」と甲高い声で、ヨシキリが鳴いて飛んで行く。独立してから三回目の”寄せ場”を求めての一人歩きで、もう、この地に来て数日になり、背負って来た食糧も底をつき出したが、砂金が出そうな”寄せ場”は、未だに発見出来ないでいる。 日も西に傾いて来た。今夜もここで野宿をしなければならない。 少しあせり気味で有った。背負ったヤセ馬を下ろし、手拭で顔の汗を拭きながら、地面に腰を落とした。ズボンのバンドに差した刻み煙草入れを取り出し、煙管に火を付けた。 「明日は、あの山を越えた所を流れる川に出て見よう。きっと発見出来そうな気がすrぞ。もし駄目だったら、一まず山を降りる事にするか」一人語を言いながら野営のテントを張る。一人語は山歩きの寂しさを紛らわすのに役にたち、自問自答も声を出して話す事も有った。初夏とは云え北海道の山中の夜は冷える。枯れ木を集め焚き火をして飯を炊く。焚き火は飯を造ったり、暖を取るのに必要であったが、

後ろの方の予告には「砂金王」になる、と書いてあるんだけど、どうやら未完で終了だろうか??? 続きが読みたいなあ。