雨竜川の砂白金

http://www.sp.hkd.mlit.go.jp/kasen/10chisui100/tryuikishi/t1_06_05.html
http://www.hkd.mlit.go.jp/sp/kasen_keikaku/e9fjd600000018qw.html

雨竜川の砂白金
雨竜川流域では明治20年代から砂金採取が行われ、深川では「雨竜川砂金の王」と呼ばれた中山萬が、30年代半ばに本格的な事業に発展させた。当初は「赤」と呼ばれる砂金が採られたが、明治末に白金の価値が高まり、砂白金採集が主流になる。明治42年にはペンケ地区だけで1,000人を超える採取者がいたといわれ、彼等は鉱物で生活必需品を鷹泊市街で調達したという。
砂白金は戦時中は軍需に使われ、昭和16年、北海道炭鉱鉄道の「沼田山林」内の一部で砂白金採取が行われた。18年には旭川を本社に「帝国砂白金有限会社」が設立され、鷹泊(雨竜鉱業所)、和寒、夕張に鉱業所が設置された。
鷹泊には大隊本部が置かれ、機械を使った採取とともに、道路や鉄道の駅が整備されるなど国家的大事業になった。昭和19年には、砂金採取のために雨竜川の河道が切替えられた。後の雨竜川捷水路事業の、最上流に位置する沼田達布捷水路の一部である。
*参考資料/新深川市史、捷水路

ほー、「砂白金王島田親子」は聞いたことがあったけど、「雨竜川砂金の王」中山萬という人も居たのね。

http://www.sp.hkd.mlit.go.jp/kasen/10chisui100/jigyo/j081.html

81 沼田達布捷水路
戦時下の砂白金採取の歴史を伝える
雨竜川捷水路の最上流に位置する沼田達布捷水路は、いち早く昭和19年に着工された。それは、雨竜川の豊かさゆえのはじまりだった。
雨竜川と水系は北海道最大の砂白金(さはっきん)の産地として知られる。砂白金は、河川や旧川の河床から採掘される白金族の天然の金属で、昭和12年からの日中戦争から、戦闘機や火薬などに使われる軍需物資として需要が増大し、昭和18年に国と民間による会社が誕生して、沼田第3鉄道橋から幌加内にいたる雨竜川の大規模な採掘がはじまった。この砂白金の採取を兼ねて捷水路の掘削が行われた。沼田鉄道橋第9号切替線がそれで、雨竜鉱業開発株式会社の寄付により、学生が動員されて昭和19年に一部着工、翌20年には一部通水した。その後工事は中断されたが、昭和27年に再開され30年に通水した。沼田達布捷水路の通水で、旧川の長さ2.8kmから400mになったことから河床の勾配は7倍になり、河岸の侵食が左右ともに進んだため、昭和33年までに河岸を保護した。
なお、雨竜川の砂白金産出量は全体の7割以上を占めたという。

捷水路(しょうすいろ)って初めて聞いたけど、川の蛇行部を真っ直ぐに治した所なのね。 捷水路と蛇行部で囲まれた土地は過去に川が流れたことがある部分な訳だけど、ここは砂白金が掘られたのだろうか?それとも当時の河床部分だけ掘られたのだろうか? 砂金関係の洋書に書いてある“カーブの内側”っていうのはこういう規模のものを言うんだよな〜? たぶん。