数年に一度はこういった大金山が出てくるよな〜
「参考」 予想可採粗鉱量、金(Au)45トン銀(Ag)1015トンは、1970年(昭和45年)48年前に、この鉱区の前々所有者であった故芳賀直人氏が、政府関与の探査員、さらには岩手大学教授などに調査を依頼して埋蔵鉱量を算出し、通産局に届け出た「埋蔵鉱量統計調査票」によるものです。芳賀直人氏が亡くなって後、この鉱区を譲り受けた私は、本当にその金・銀が有るのか、1984年(昭和59年)今から34年前、鉱山管理人の案内で山に分け入り、鉱区の一部に露出した2か所の鉱脈露頭の鉱石サンプルを採取、仙台通産局で分析の結果、分析報告書の通り、予想以上の金・銀が確認されました。
昭和59年7月、故芳賀直人氏が遺した遺稿を整理し、冊子「黄金への誘い」に纏めましたが、その冊子を見たという、東京都江戸川区西小岩の岡村○雄氏から、突然この鉱区を譲り受けたい、との強い申し入れがありました。ちょうどその頃、私の外国(中国)での新規の事業が始まり、忙しくもあり、強い譲り受けの要望でもあって、平成5年4月30日付で譲渡契約を結び、岡村氏に譲り渡しました。
私は、2004年に中国から帰国しましたたが、2009年頃になって譲渡した鉱区が気になり、通産で調べたところ、この採掘鉱区は2005年(平成17年)1月31日付で「鉱業法第55条の規定に基づく取り消しによる消滅」とあり「本鉱業権は消滅したので本鉱業原簿用紙を閉鎖する」とありました。私は、岡村氏又は岡村氏の関係者などで,既に創業したものと思っていたが、岡村氏が何故この鉱区を放棄したのか、いまだに分からない。岡村氏に事情を聴くべく、鉱業原簿にある住所に郵便で問い合わせてみたが、すでに転居していて、手紙は戻ってきました。私は、2011年(平成23年)10月12日付で、新たに「試掘権」を出願しました。しかし、鉱業法施行規則の改正で資金の調達ができず、残念ながら断念しました。
45tの金は佐渡金山の金産出量の半分強という大きな数字。 Au/Ag=1:23からみると浅熱水型の金鉱床だねえ。 でも遠野辺りらしいんだけど、あの辺りは興北鉱山以外では銀の多いタイプの鉱床って聞かないよねえ・・
もう少し探してみると・・・
金(Au)と銀(Ag)が大量に眠る「弁天金山」の情報です。資料をお届けします。詳しくはホームページ。https://t.co/o2YAADE25d#黄金 #金銀 #金鉱石 #砂金 #自然金 #鉱床 #探鉱 #鉱山 #資源 #鉱脈 pic.twitter.com/LJbTJ9HvMJ
— izanai.gold (@IzanaiG) 2018年4月30日
“弁天鉱山”なら和賀の方にあったようだが、遠野近辺ではない。 手元にないけど『新岩手県鉱山誌』あたりには載っているかなあ?
資料の方はちょっと見てみたいね。
twitterを読み進めたら、もう少しヒントがあった。で、検索すると・・・
https://readyfor.jp/projects/gold-izanai1984-yumeoibito
なるほど。 もう少し調べてみよーっと。