金瓜石鉱山のはじまり
金瓜石の鉱床は今からちょうど百年前、西暦一八九四年(光緒二十年、明治二十七年)五月に発見された。
その濫觴は一八九〇年に時の台湾巡撫劉銘傳氏が基隆台北間に鉄道を敷設した際に八堵の基隆河床で砂金が発見されたことに由来する。住民は砂金を追跡して暖々から基隆河を遡り、四脚亭、瑞芳をへて大粗坑に至り、一八九三年に九份の甲金比露頭をみつけた。金瓜石の本山露頭はそれより一年遅れて発見されたが、確実な時間、経過などは文献として残っていない。
文献によっては砂金の発見は八堵ではなく七堵となっている。