佐渡より多い

新潟県北部の金山群 越後黄金山に関して何の注釈も無く単純に「佐渡より産金が多かった」と表記されていることがある。
これは1598年に書かれた「伏見蔵納目録」の記述を元にしているらしいのだが、所謂佐渡相川金銀山の発見が1595年と言われていて、1600年代に入ってから最初の繁栄期を迎えたとのことだから「伏見蔵納目録」が書かれた時点では相川金銀山*1はまだ発見直後。佐渡の産金の主力は西三川砂金山だったと思われる。当時の西三川砂金山はすでに500年間は掘り続けられているであろうから、越後黄金山の産金量に比して未だ7割もの産金量があった西三川砂金山というのは本当に金の豊富な場所だったのだなあ・・・ってことを一度書いておきたかった・・・
http://www.lib-murakami.jp/t/kyoudo/narumi/narumi2.html

*1:金銀分離が行われていなければ、実質的には相川銀山という名が相応しいかも?