あれ?沼は・・・

http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/52591295.html

荒川支流の沼川上流左岸に沼集落からひときわ目立つ山がある。 地元で「猿ヶ城」(さるがじょう)と呼ばれている。
周囲を急峻な断崖に囲まれ山頂に立つにはどうするか悩ましい山である。
この山一帯で、砂金採集が行われいたと伝えられている。近世初期に金が発見された。

沼金山の位置は地図の右上外くらいの位置じゃなかったかなあ?ただ、川では砂金が採れそうな感じはするのだが。
5月に行った時にはちょうど猿ヶ城脇の川で砂金掘りを・・・せずに増水の川を眺めていた記憶がある。
http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20110508

後で役に立ちそうなので関連しそうな資料を挙げておく・・・

  • [堀直寄書状](主膳煩本覆,沼金山仕置,残米払方につき等)

http://www.lib.niigata-u.ac.jp/kichosho/1100440/siryo.html
新潟大学「人文科学研究」26号33(p.61)、「かみくひむし」60号33(p.4)、「村上市史(資料編2)」200(p.256)
 

  • [堀直寄書状](残米代銀払方,沼金山,越前宰相より小袖請取,留守中法度,主膳病気本覆につき等)

http://www.lib.niigata-u.ac.jp/kichosho/1100460/siryo.html
新潟大学「人文科学研究」26号35(p.62)、「かみくひむし」60号35(p.5)、「村上市史(資料編2)」202(p.257)

  • 覚[堀直寄条目](留守中家中法度,沼金山仕置,7月末検見,城廻普請,馬ひき,鉛買付,塩やきにつき等)

http://www.lib.niigata-u.ac.jp/kichosho/1100520/siryo.html
新潟大学「人文科学研究」26号41(p.67)、「かみくひむし」60号41(p.7)、「村上市史(資料編2)」204(p.258)

  • [堀直寄書状](沼金山運上,主膳本覆,越後丸米積,佐州より鉛買につき等)

http://www.lib.niigata-u.ac.jp/kichosho/1100540/siryo.html
新潟大学「人文科学研究」26号43(p.68)、「かみくひむし」60号43(p.8)、「村上市史(資料編2)」206(p.260)

http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/41/pub_shiryo-12-58.html

鉱山関係では、佐竹義宣領羽後諸鉱山の開発と運上の江戸城への納入、幕府納戸方の預り手形(「梅津政景日記」・「義宣家譜」)、堀直寄領越後沼金山の間歩運上目録(「堀家文書」)、佐渡金銀山関係史料(「佐渡風土記」ほかの地誌。諸本間の異同が少なくないが、注記は最小限に留めた)、豊前呼野村金山の開発についての細川氏関係史料を収録した(「松井文書」等)。陸中南部利直領朴山金山に関する史料は(「上閉伊郡小友村某氏所蔵文書」)、幕末期に陸中遠野郷の寺子屋で用いられた教科書であるが(及川儀右衛門氏「南部藩鉱山師丹波弥十郎関係史料」『岩手県史研究』一八、一九五五年二月)、佐渡でも活躍した山師の所伝としての意味を認め、採用した。 江戸時代前期の検地、諸階層・集団での算用、開発や産業振興に関する研究に本史料集を活用願いたい。
(目次一頁、本文三九二頁、本体価格六、八〇〇円)

おお、何か沼金山以外にも面白そうな記述がありそうだ。

http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000002773533.html

八章 産業と商業、交通 四節 鉱山  425  
高根金山の繁栄と祈願 沼金山の繁栄と衰退 〈当てがはずれた下渡山の金〉 蒲萄の鉛山 金山開発の試み 


これも関連と言えるかな?
畑銅山、畑鉱山跡
http://mikkun.yu-nagi.com/07min/012hata.html

ふー、引用だらけだ・・・

12/8追記:「日本鉱業史研究No.37」によれば、沼川流域で土鉱または砂金を採掘していた、とあります。 また、支流の猪ノ沢沿いでは石垣、鉱山臼、タヌキ掘りの穴が見つかっているようなので、こちらは鉱脈を掘った鉱山なのでしょう。
あれ?猪ノ沢に鉱山跡の印が付いた地図を見たことがあった気がするけど、何の地図だったろう?「ふるさと地学散歩」ではないし・・・