「丹沢・塔ノ岳西麓の金鉱脈沢」

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山の伝説画文集 とよた 時【ひとり画展】▼866号 「丹沢・塔ノ岳西麓の金鉱脈沢」

1841年(天保12)完成の江戸幕府官撰でつくられた、相模国(神奈川県)の地誌『新編相模風土記稿』の(巻之十七・村里部・足柄上郡巻之六・大井庄)に「……永禄元年(1558年・室町時代末期)、當村山中金澤と云所より金銀砂を産せしかば、鉱夫等かしこに集て土着する者数百戸、當寺(秦野市三廻部の觀音院孫佛山福聚寺)の檀越(だんおつ・檀家)となる者多し、故に彼の地に寺を移せり、其後金銀砂も産せず、鉱夫も離散するに至りて當寺も舊地(旧地)に移す」とあります。
丹沢山塊の研究家・坂本光雄氏も「塔ノ岳孫仏記」(『あしなか3第41輯』(山村民俗の会)1954年・昭和29)に「永禄時代塔ノ岳西北面の金沢に、数百の鉱夫が入り込んで、ひと頃は盛んに金を掘り採ったとの記録がある」と記されています。

ほほー、確か山北町史を調べた時には鉱山関係の記載は無かったと思ったのだけど、もう少し古い資料にあたるとあるのね。

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小学生の頃、秦野(? たぶん戸川の山岳スポーツセンター辺りからかな?)から、この近くまで歩いたことがあるんだよね。もちろん山北までは入っていないのだが・・・