「白川郷の金山について」

『飛騨春秋』 2002 2月号 通巻第493号収録の「白川郷の金山について」(池之端甚衛)

寺社と鉱山の関係について山梨などの事例を引いて論じられているものの・・・これだと鉱山が先か寺社が先かまでは判断できる材料が無い。 寺社が鉱山開発を主導したというよりは人の集まる場所に寺社がやって来たと考えた方が自然じゃないのかなあ?

そういえば神奈川にも金山とお寺が関係する例があったな

garimpo.hatenablog.com

當村山中金澤と云所より金銀砂を産せしかば、鉱夫等かしこに集て土着する者数百戸、當寺(秦野市三廻部の觀音院孫佛山福聚寺)の檀越(だんおつ・檀家)となる者多し、故に彼の地に寺を移せり、其後金銀砂も産せず、鉱夫も離散するに至りて當寺も舊地(旧地)に移す

これだと、金山の盛衰に伴って寺の場所が行ったりきたりしているのだ。

寺社の鉱山支配あるいは開発はあり得ると思うし、白川郷はそんな例がありそうだと思っていろいろ調べているけど、なかなか「これだ!」という資料は見つからないなあ。