三廻部

http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20130408 に出てくる「觀音院」(?)
http://www.city.hadano.kanagawa.jp/k-contents/dhm/dhm/kami/kannonin/kannonin.htm

古くは比叡山末の慈眼寺と称し、鎌倉時代初期から天台宗の寺であった。天台宗真言宗と共に山岳信仰と結びつき、修験道(しゅげんどう)のもととなった。そのため観音院は、塔ノ岳との関わりが多い寺である。戦国時代の1558年<永禄元>に、金沢<三廻部>という所から砂金が見つかり、一時鉱夫などが大勢集まって檀家(だんか)数も増えたため、寺もそこへ移されたが、しばらくして元の地に戻ったという。

https://maps.google.co.jp/maps?q=%E7%A7%A6%E9%87%8E%E3%80%80%E4%B8%89%E5%BB%BB%E9%83%A8&ie=UTF-8&hq=&hnear=0x6019091913e28b79:0x207cdcc49cb037f9,%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E7%A7%A6%E9%87%8E%E5%B8%82%E4%B8%89%E5%BB%BB%E9%83%A8&gl=jp&ei=G5JqUd-QAevxiAetjIDgBw&ved=0CIIBELYD

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先日紹介の“金澤”はこの三廻部(みくるべ)地区のすぐ北側にあたる。現在の行政区画では山北町秦野市に分かれているが、当時は三廻部地区の範囲が北に延びていたのかねえ?
もっとも、現在の三廻部地区でも砂金は採れそうな気がしている。未だに確認に行っていないけど・・・