戦中の平壌砂金事情

戦中の平壌砂金事情・・・一応、小説と言うことにはなっているけど、砂金掘りの描写は正確、と思う。
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順安の集落がきれ北方に向けて京城新義州を結ぶ京義本線と京義国道と大同江の支流になる普通江が、三本の縄をなうようにずっとつづいていて見渡すことができた。その平原に戦後平壌の国際空港にもなる順安飛行場の滑走路が出来たという。西側も普通江をはさんで、平原がつづいていた。
 普通江の向こうには、砂金をほりだすドレッジャーという砂金採取船(浚渫船)《しゅんせつせん》が三隻、四隻と年中地面をほりあげながら池を作り、膨大の砂利を後に残してすこしづつ進んでいた。ドレッジャーというのは小さなビルぐらいの大きさで、地をほりあげるバケットが連続していて砂をほりあげていた。砂の中から砂金をゆり分け水銀と結合させて採集する浚渫船だった。順安の砂金はとりわけ良質といわれた。通常は粟粒ほどの砂金を膨大の砂の中から、水銀アマルガムと結合させて採集していた。順安の砂金の中には、卵ほどの大きさの金塊が含まれていて、天覧に供された(天皇がごらんになること)と話題になった。ドレッジャーの中は、工場のようになってものすごい騒音と振動のなか、十数人の労働者が働いていた。

順安はちょうど現在の平壌国際空港順安国際空港)付近らしい。へー、行く機会はまず来ないだろうけど、飛行機降り立ったらそこが昔の砂金産地というのもなかなかすごいな。

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戦争がすすむとお父さんが招集されて内地に帰っていく家庭も増えてきた。また砂金会社が規模を縮小し、いつのまにか普通江の向こう側に浮いていたドレッジャーもなくなっていた。

と、あるのが東條内閣総辞職(1944年(昭和19年)7月18日)の頃の話のようなので、ん?昭和18年の金山整備令って朝鮮半島だと厳しく実施されなかったのだろうかね?