松山丈之助

http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20131028 の話に進展が・・・

実は「砂金堀り夜話草」の九九二(Page?)に出てくる鹿児島出身の松山丈之助の子孫です。伯父が一度中頓別村へ訪問していますが、その時に聞いた地名と丈之助しかわからない状態でした。昨年訪問して長岡さんの関係者と結婚し、娘が誕生したことを知りました。その娘も長岡関係者へ嫁いだ模様で?なんとか丈之助の最後やお墓があるのか知りたいと思います。一番はやはり血のつながりが分かりましたら是非お目にかかって私の知る限りの松山をお話ししたいと思います。中頓別に残された丈之助が建てた神社も残されていました。来年が100年祭と聞きました。守って下さっている氏子さんとは訪問依頼やり取りをさせて頂いています。

どうやら、この「砂金掘り夜話草」は、ぷらや新書の「砂金掘り夜話草」(日塔聰)ではなく「北辺のゴールドラッシュ」(日塔聡)に収録されている方の“六.砂金掘り夜話草”枝幸町史 上巻」の“砂金掘り夜話草”らしい*1
「北辺のゴールドラッシュ」p.124-125 4.長岡長五郎の話

 そんなことして暮しているうちに、九州の鹿児島から来た松山という人と、いとこのやつが縁故になってしまったんだものナ、松山の娘分を嬶にもらって。この松山がウソタンの場所を借りて、大現場張ったんだ。そんなわけで。ウソタンでは大現場ばかりやってあったナ。<この松山という人も砂金掘りに来たんですか>
いや、この人は商人だから、枝幸の町にいて商店出していたんだ。それから中頓の先きの松音知というところに、今度大きな農場を持った。そのころ鹿児島には偉いものばっかりいたものだからナ。それで国衆もみな代議士やったような偉い連中ばかりだった。


http://www.town.nakatombetsu.hokkaido.jp/docs/2014010700018/files/kouhou10.pdf

農場や砂金・白金採掘を辞めた後は、頓別村会議の区の代表にも任命されています。(大正10年9月22日任命)

これが最後に確認できる記述かな?


http://www.hoppou.go.jp/gakushu/watashitachi/kagoshima/#s1212
http://riishiri.sakura.ne.jp/Sites/RS/archive/282009/2818.pdf

話を総合すると、商店で稼いだお金でウソタンや中頓別の砂金・砂白金鉱区主となり、さらにそこの収益で薩摩(松山)農場を拓いた・・・ということらしい。
長岡長五郎の従兄弟ねえ・・・何かの本に出ていたかなあ???*2

*1:どちらも長岡長五郎の話は、ほぼ同内容

*2:兄は出てくる