http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20140207
砂金採掘業を止めた後(?)も砂金との関わりが続いた松山丈之助。
幌延町誌を読み直していたら気になる記述があった。 同町問寒別で掘られた砂金が一山越えた中頓別に持ち込まれ売却されたというのだ。この砂金が持ち込まれた先が「薩摩農場の松山某」だというから松山丈之助のことを指すのは間違いないだろう。 (2017.05.23追記 薩摩農場に松山姓の人間が複数いる可能性(例えば松山國保)が出てきたので、松山某=丈之助 というのは間違っているかも・・・ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1076034/77 )
問寒別での砂金採掘時期(大正8年〜と言われる)を考えると自身の砂金採掘事業は止めた後の話では無いかと思うのだが、仲買人としての活動はしていたのだろう。