“大同年間”

以前にちらっと読んだことがあって気になっていた「大同年間の鉱山発見は怪しいものがある」という話。
まずは大同とは・・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%8C_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

日本の元号の一つ。延暦の後、弘仁の前。806年から810年までの期間を指す。

そして、“大同年間”で検索してみると、例えば・・・
https://blogs.yahoo.co.jp/toku29511/22074221.html

八溝山、八溝嶺神社に大同二年に空海が訪れているとか、山腹の日輪寺の創建も大同二年。
棚倉の「八槻都々古別神社「馬場都都古分気神社」那珂川町(馬頭)鷲子山神社(とりのこ)の創建等々,いずれも大同二年。
そういえば秋に訪れた早池峰神社の創建も大同二年。清水寺、赤木山、赤木神社創建も大同二年。
日光男体山、昌道上人の旱魃祈願も大同二年。
各地の山の金山銀山の開抗も大同年間銘が多々みられる。いやはや枚挙に限りがない。

那須茶臼岳、磐梯山、燧ケ岳、蔵王刈田岳、の噴火も大同二年。(地質学的に根拠がないそうだ)
秋田森吉山、茨城八溝山の鬼退治も大同二年。 (この鬼とは土地に住む蝦夷を指すのだろう)

由緒書には必ずといっていいほどそこに坂上田村麻呂弘法大師空海)が顔を出す。
空海が大陸から帰ったのが大同二年。 坂上田村麻呂蝦夷征伐から二年後のことである。
さすがに西日本は坂上田村麻呂こそ顔を出さないが、こちらは空海さんの大同年間が目白押し。

やはり金銀山の開鉱も大同二年が結構あるそうで、具体的には
http://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/9735c377a28b4306fc72483cfb82f79b

秋田県の阿仁銀山、高根金山、吹屋銀山をはじめとする各地の鉱山の開坑も、大同年間。
兵庫県生野銀山の正式記録は「天文十一年(1542)開坑」となっているが、伝承では大同二年である。

ではなぜ事の始めが“大同二年”になるのか?

http://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/9735c377a28b4306fc72483cfb82f79b

また、坂上田村麻呂の“蝦夷征伐”が終わったのも大同の直前だった。そして、弘法大師空海が、唐から帰国したのが大同元年なのである。

まさに、大同年間は、坂上田村麻呂によって、東北まで朝廷の威光が拡大した年であり、平城天皇は全国に観察使を派遣し、地方情勢を調べさせたり。全国に「鹿島・香取」などの軍神を祭る神社を建てている。
福島県の中央には「田村郡」があり、また阿仁銀山の開坑なども、田村麻呂の功績となっている。

加えて、弘法大師空海を迎えて、京都に清水寺を創建し、真言密教の加持祈祷力を利用して、病弱だった「平城天皇」は 全国の寺社に自分の健康祈願の祈祷をさせたのだった。

とか

https://blogs.yahoo.co.jp/toku29511/22074221.html

『大同』の答えは「谷有二」氏の著書の中に謎解き答えが隠されていた。 
大同年間の伝承が全て山に深く関わり密教の宗教的性格を帯びていることから、氏は大同年間の伝承を伝え歩いたのはこれら修行者が犯人であると。結論付け、彼らは加えて山中を歩きまわることから金、銀、鉱山を嗅ぎ分ける技術も持っていた。 
と、すれば、奥州の金を見つけたのも彼らであろうか?

奥州の山深く駆け往った修験者は、密教の“行”もあろうが、意外と都の意向を汲んだ大伽藍建設に欠かせぬ黄金探索の役目(山師)も担っていたのではなかろうか? (私の推理)
室町時代に「高野聖」が山伏風の独特の風態で全国を行脚し、お大師(空海)信仰を全国にひろめ説いたと司馬遼太郎の著書の中で呼んだことがあるが、そうだとすれば全国各地の“大同二年伝承”も「高野聖」が、おおいいに関わっていたことは推察できる (私の推理)
大同年間伝承は「空海真言密教の善行をほめたたえ、全国に布教し密教の宣伝伝承であると・・・。その結果が爆発的な「大同二年説」に・・・。
それでは「坂上田村麻呂」は?となるが、空海と同時期、蝦夷征伐で名を馳せたと同時に真言密教の影響下、京都清水寺を創建。「田村麻呂」は十一面観音を本尊としていたため、全国各地の大同年間の神社仏閣に伝わるその多くの十一面観音の結びつきがその理由。

などと、いくつかの説があるようだ。
いずれにせよ、開鉱の伝承が大同年間の鉱山はその沿革を少々疑ってかかる必要がありそうだ。