石巻市の網地島。文禄の役の際に伊達政宗によって連れて来られた朝鮮人鉱山技術者の話は結局『牡鹿町誌』を読んでも
- 坑道で落盤事故があり犠牲者の多くが朝鮮人(埋葬品から判断された)であった
- 埋葬された塚にまつわる話は伝えられてきたらしい(落盤事故の犠牲者を埋葬した塚であるということ)
- 網地島・浪入田金山の主な稼行年代が慶長年間(1596-1615)つまり伊達正宗の治世であった
ということからの推測らしい。 「伊達政宗が文禄の役の際に連れて来た鉱山技術者を使って金山を開発させた」という文書があるわけではない(らしい)のだ。
なぜ網地島の金鉱開発に朝鮮人技術者が使われたかの? 最短で数キロしか離れていない牡鹿半島にも同時代に開発されたとされる多くの金山があるが、そこには朝鮮人技術者が使われたという話が出てこないのはなぜ?
一つの可能性としては、網地島に関してはたまたま落盤事故と埋葬品の関係から朝鮮人技術者の関与が推測でき、他の地域ではそういった関連付けができないということは考えられるかなあ?
もう一つ考えられる可能性は、「“島”の金山だったから連行してきた朝鮮人技術者に開発させた」ということも考えられる。逃げ出すことが困難だからだ。 そんな考えで網地島に関して調べてみると・・・
https://kaisou.exblog.jp/10658637/
検索したらアマゾンに本がありました「仙台藩流刑史」1980年刊行、在庫はなしとありました。