中世白川郷の金はどのようにして世に出たのか?

史料も無く、考えてもよくわからないままの話ではあるが・・・

中世白川郷の金はどのようにして世に出たのか? 領主に納める鉱産税のようなものがあれば分かり易いが、中世白川郷ではどうだったのか?実は六厩で聞いた話しでは「金森の統治下になるまでは掘った金は自由にできた(つまり鉱産税が無い)」というのだ。これが正しければ領主(ここでは内ヶ島氏)自ら砂金掘り師を配下に置かない限り金の入手はかなり不自由だったであろう。

砂金に関する鉱産税で思い出すのが東北地方の「御本判」であるが、これも調べてみると時代的に秀吉の鉱山政策下でのはなしのようなので、中世の砂金鉱業ってそのあたりの縛りが緩かったのだろうか?

一方では六厩岡田家や照蓮寺が本願寺に金を寄進している。砂金を掘っていたであろう岡田家=了宗寺→本願寺や檀家で砂金掘り師の岩瀬家→照蓮寺→本願寺という金の流れがあったのだろう。本願寺が金を何に使ったのかが分かると面白いのだが・・・時代によっては鉄砲を買ったりとかもあったのかねえ?