六厩岡田家と小原長者

一昨日岡田家(伏字は・・・意味ないので)で話を聞いた際

「先祖は加賀から入ってきて、小原に家があり栄えていた、六厩に来たのはその後 」

 という意味合いの話をされていた。これを聞いた時に「?!」と思ったのは高山市清見町小原地区に伝わる伝説を聞いたことがあったから・・・

小原長者の伝説というのは、

 1.時代は分からないが古い話

 2.長者の屋敷には淵があり、毎日金の卵を産むどじょうが棲んでいる

 3.長者の臨終の際「財産は埋めてしまったが、後に京都の寺へ旅立つだろう」と言い遺す

 4.ある日、長者屋敷から黄金が列を成し、空を踊るようにして西へと向かって飛んでいった

と、いったお話。

2は砂金の産出状況の暗示?

3の京都の寺は飛騨という地域と時代性を考えると浄土真宗本山の本願寺だろう。

ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム 

[六厩(むまや)「岡田家の歴史」(荘川町六厩)]

その頃白川郷、川上郷は、郡上白鳥の天台宗長滝寺の寺領であった。南部屋荘兵衛も馬瀬郷松谷(小原・大原)に建立の末寺や、白川郷六厩島田に建立の末寺を大切に保持していた。

 やがて白川郷へ嘉念坊善俊上人』が入ると、この人徳教化に帰依し、寛正年間「長滝寺」から離れて、浄土真宗の信徒になる。文亀二年(一五〇二)明西は実如上人から「方便法身尊像」を下付され、島田(現在岡田家の裏山手地)に道場を建てて、了宗寺の開基となる。

時代により移転する本願寺が京都に存在したのは『飛騨と教如上人』によると

大谷 1272-1465

山科 1480-1532

堀川六条 1591-

烏丸六条 1602-

照蓮寺など飛騨の諸寺は東本願寺を支持したので、堀川六条の西本願寺は候補から外して良いだろう。

 もう少し時代を絞ることはできるだろうか? 小原地区の元郷、大原村には松谷金山があった。大原村にある長林寺の開祖誓源(俗名前田又左ェ門)が松谷の地を下り、長林寺を開いたのは長享3年(1484年)だからこの時期にはこの地域で砂金が採れなくなってきたのだろう。すると1460~1466年あるいは1480~1484年・・・少し拡げて1500年くらいまでの話と見てよいだろう。

4は長者が亡くなった際に財産を本願寺に寄進したと解釈できるだろう。

するとこの小原長者の伝説は

・1460~1466年あるいは1480~1500年の頃、砂金稼ぎで財を成した岡田家の先祖(小原長者)は亡くなる際に財産を京都の本願寺に寄進した

といった史実があったのかもしれない・・・ねえ? 本願寺の記録などが残っていたらあるいは?