「戦国期飛騨真宗の動向 ―照蓮寺再興と親鸞影像の移徙の意味について」

富山の図書館で複写してきた資料を読んでいるが、これが一番面白い?

「戦国期飛騨真宗の動向 ―照蓮寺再興と親鸞影像の移徙*1の意味について」(三本昌之)

これに岡田家の伝承を組み合わせると見えてくるものがありそうな気がする。

しかし戦国時代の飛騨の浄土真宗を調べて行くと最初は強く現れていた“嘉念坊善俊”の存在が、どんどんと希薄になって行く・・・存在したこと自体は否定しないが飛騨西部の浄土真宗の教化に貢献したのは牧ヶ野の唯乗や楢谷の善宗(円実)の力が大きく、善俊の存在が名ばかりだったように思われる。しかし“嘉念坊”の名の持つ力は大きかったのだろう、唯乗や善宗(そして岡田家の了宗も)は照蓮寺の復興に尽力し、しかし自らは照蓮寺の復興後に影響力を落としていったようだ。

このあたりの事情について書かれたものはなさそうなので、推測するしかないのだが・・・

*1:いし・わたまし