田子の浦の金はどこから来たのか?

 

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「今川政権の金山開発と黄金運用について」では以下の解釈を示している。

駿河国において初めて黄金を産出したのは、続日本紀天平勝宝2年(750)3月10日に廬原郡多胡浦浜に於いて黄金を得たという記事があり、これは富士郡麓村の金山から富士川に流れ出した砂金を得たことによるもので、以後、黄金の採掘は川床の砂金や河岸段丘に堆積した砂金などを中心に行われてきた

とある。「富士郡麓村の金山」とは「富士金山」(静岡県富士宮市)のことであるが、まず富士金山の麓に富士川は流れていない。また仮に流域にかかっていたとしても砂金がそこまで下ることは考えづらい。庵原郡多胡浦浜で金が採掘されたのは別の理由である。

 

原田千尋,今川政権の金山開発と黄金運用について : 『真珠庵文書』を中心に読む,『静岡県地域史研究 (3)』,2013年

では、どこが金の供給源かということには触れられていないが、遠距離を理由に金の供給源でないとするならば田子の浦により近い金山ないしは金鉱床はどこなのか?ということになる。以前該当するかもしれない金山をネットで見つけた

知らない金山 - 砂金掘り日記

んだけど・・・あれ?リンクを貼らなかったせいでどこのサイトだったか分からなくなっている。何を検索ワードにして見つけたんだったかなあ?