白川門徒 の検索結果:

粟野と青野原

garimpo.hatenablog.com 金山に関わっていそうな白川門徒の追跡調査。 荘川地区と清見地区の寺の住職が16世紀後半に凶作で美濃国粟野(青野原)へ避難したと伝わっている。同じ粟野へ避難したのは偶然か?それとも親戚などを頼ってか? 美濃国粟野(青野原)はどこなのか?と調べてみると、数ヶ所あって・・・ ・岐阜市粟野 ・関市富之保粟野 ・大垣市青野 うーん、どうやって絞り込みをするかなあ?

黒谷浄念寺の“白川門徒”本尊裏書

…浄念寺の本尊裏書に“白川門徒”と書かれているのは読んだことがあったが、そういえば『荘川村史』の続巻に浄念寺にまつわる伝説が載っていたのを思い出した。なんでも・・・ 天正年間金森氏の飛騨侵攻に際し、浄念寺の前身である道場の主は本尊などを近隣の水沢上の道場に避難させた。金森侵攻の翌年、天正地震の発生により飛騨西部の山が各地で崩壊、帰雲城の埋没や水沢上で河川の閉塞が生じ、水沢上の道場も水没する。 数ヵ月後、道場とともに水没した本尊などを納めた木箱が水面に浮かび上がり~ というお話。…

『朝光山 真宗寺史』

白川門徒の本尊裏書が伝わっている?という情報を得て借りてきた『朝光山 真宗寺史』。資料編と併せて昨年、今年に出たばかりの本だ。 白川門徒に関しては『斐太後風土記』の記述を元に(?)、美濃国郡上郡気良庄 正保寺(村) 願主釈浄善 に宛てられたものが経緯は不明で真宗寺に伝来していることが書かれている・・・しかもこの本尊が所在不明になっているとの話もあるので、これはなかなかややこしい話だなあ。 その他にも飛騨の浄土真宗伝播に関して興味のある記述が多い。じっくり読んでみたい。

画像処理

…像本尊を見せて貰って、両面撮影をしてきた。 昭和34or35年に「洗濯」されたとのことで、その影響なのか?裏書が黒ずんで読み取りが困難。カメラを通して見ると事前の情報通り「白川門徒」や「郡上」、「麦島」などの文字はなんとか読み取れる(気がする)。 なんとか画像処理だけで文字が読めるようになれば良いのだが、駄目なら赤外線撮影かなあ? 市販のソニーのビデオカメラで撮れるよと専門家に聞いているので近赤外の撮影だけできればokなのかな?可視光カットのフィルターとかも必要なんだろうか?

朗報

M家にあったという白川門徒の裏書のある本尊。 現在はあるお寺に預けられている、と連絡があった。 「十中八九、処分されてしまっただろう、その確認作業になるのだろう」と思っていたので、これは朗報。近々見ることができるかも?

私家版に記述あり

一歩前進・・・しかし? - 砂金掘り日記 いろいろと資料を確認していたら『南無阿弥陀仏』私家版(五ヶ山良一)にも麦島集落にあった「白川門徒」の本尊裏書は記載があった。 ・・・もっとも、この本だと奈良谷の善円に与えられたとする本尊も白川門徒に宛てられたものと推測されたりしていて話がややこしくなりそうではある。

一歩前進・・・しかし?

お寺と民家を訪ねて「白川門徒」の本尊裏書の情報収集~ 本尊の持ち主のお宅が引っ越した先を聞いて・・・しかし、立派な仏壇を小さなものに買い替えたってことは、その時に古い本尊もしょ・・・??? さて、遠からずM家を訪ねて結論を出したいところ。

ようやく明日

ようやく明日調査に行かれることになった garimpo.hatenablog.com まあ、空振りの可能性は大きいけど・・・

麦島の白川門徒・・・調査の現状

garimpo.hatenablog.com garimpo.hatenablog.com garimpo.hatenablog.com 結局のところ「白川門徒」と書かれているのは最初に見つけた「飛騨国清見村の毛坊道場」(千葉乗隆)の中だけで・・・とはいえ、これが裏書を最も忠実な形で紹介しているので、千葉乗隆氏は現物を見たか、写真なりで確認をして書かれたと考えられるので信憑性は高いと思われるのだが。

頓挫しそう・・・?

麦島の「白川門徒」宛て本尊裏書に関して地元の方に訊ねてみたが・・・M家の人は既に集落に住んでいないし、本尊も処分されてしまったのでは?・・・とのことで、ちょっと落胆。 本尊が、親族なりどこかのお寺なりに受け継がれていると良いのだけど。

省略されている?

別件で『清見村誌 下巻』を読んでいたら・・・ 実如の裏書がまた1ページ - 砂金掘り日記 『飛騨史の研究』(多賀秋五郎) 改訂版 - 砂金掘り日記 麦島の本尊の裏書の記述があったが、あれ?“白川門徒“の記述がないなあ。なんでだ?単に省略?

『飛騨史の研究』(多賀秋五郎) 改訂版

garimpo.hatenablog.com 『飛騨史の研究』(多賀秋五郎)に当該の裏書の記載があるかも?という情報があったので図書館へ行ってみた。 改訂版を手に取ると・・・ あった。うーん、でも期待した「白川門徒」の記載はなかった。やはり現物を確認したいところだ。 ちなみに改定前の版にはこの俗道場の記載自体が無かった。初版が昭和16年、改定が昭和53年、この間に調査されて追加記載されたものらしい。よく見るとこの部分だけ前後のお寺の記述と活字の状態も変わっているねえ。

実如の裏書がまた1ページ

…葉乗隆)の中の「飛騨国清見村の毛坊道場」 内容的にも気になる部分があるが、麦島という近くに金山がある集落の道場に本尊が授与されていて、願主は不明ながら白川門徒であるというのだ。 この白川門徒は、今まで調べてきた感じでは金山稼業に深く関わりがありそうであって、裏書に現れる時代・地域も短期間、金山周辺に限られる・・・ようなのだ(断言まではできないが)。 白川門徒の名前の入った裏書自体がこれまでに3~4例だったか? 確か、この麦島の道場宛の裏書は知られていない物だと思うのだが・・・

『真宗文化と本尊』

何冊か借りてきた千葉乗隆著作集の内の一冊『真宗文化と本尊』(千葉乗隆) 「飛騨国白川門徒の宗祖像移座」に一章割かれていて、タイトルとしては以前に読んだ三本昌之氏の論考と同様なんだけど、それ以外の情報も散見されていて、そのあたりも併せて考えると面白そうだ。

私家版の

…たが、お~ 今まで「白川門徒」や「白川善俊門徒」などと書かれた裏書群の分類について各種の論考を見てきたけど、非常にわかりやすく分析された図があるじゃないか!著者の方が亡くなられているそうなので表に出てこないだけなのかもしれないが、もったいない話だなあ。 雑談の中で、牧ヶ野道場(遊浄寺)が中野照蓮寺の前身であるという話もあって・・・おや?それらの話を統合すると「岡田家の風土記」(松井嶋子)の元原稿の内容の信憑性がぐっと上がってくるんじゃないだろうか? これは非常に面白い話になり…