「鶴ヶ坂抄」

先日青森の「たらポッキ温泉」*1に入った際、浴場の看板に掲げられていた「鶴ヶ坂抄」何気なく読んでいると・・・

炭焼藤太が住んだと言われる戸建沢は砂金沢であり、現在の鷹森山の水源地付近でNHKなどのアンテナがある場所付近云々・・・なのだそうで。ふーん、ここにも炭焼藤太伝説があるんだねえ〜
全国(東北)の炭焼藤太伝説の地を調べてみるのも面白いかなと思った次第*2

鶴ヶ坂抄」の砂金に関する部分を覚えて温泉から上がりメモに残しておいたが・・・検索したら全文掲載されている日記があるじゃないの
http://bakudan.net/diary/view.cgi?id=red_others&bid=215dd3bb3e8a5a3400ae7953c7928dc3&hp_key=&year=2005&mon=9&day=13
http://bakudan.net/diary/view.cgi?id=red_others&bid=1742c518caf1cdfb3499e6828068ddf8&hp_key=&year=2005&mon=9&day=16

七百年前の昔、近くの戸建沢に世をしのぶ炭焼藤太が、偶然傷ついた鶴が湯あみするのを発見、浴効をみいだしたことにちなみ、鶴ヶ坂と呼ばれるようになったという。藤太公は当時、北門の要塞として十三福島城に栄えた名門、平泉藤原一族のながれをくむ当時六才の頼秀、津軽野萩の台の戦いで、父は藤崎安東勢にやぶれ討死、乳母につれられて落ちのび、新城戸門の山峡に、炭焼きとして身をひそめたわけだった。炭焼きといっても、いわば金銀の製錬業のようで、後日譚では、京からはるばる訪れる近衛家の福姫とのロマンスへつながる物語となる。藤太公のすんだ戸建沢は別名、金沢ともいゝ砂金が採集されたらしいが、いまは鷹森山にそびえるテレビ塔の水源地付近である。

こんなことやっている人もいるねえ・・・
http://homepage1.nifty.com/maholobaland/yositune/toutakitiji.htm

やがて藤太と出会った福姫は、炭焼き暮らしの貧しさに同情し、黄金を出して与えた。ところが藤太は、「こんな物はいくらでもある」と言って、近くの沢を掘って黄金を積み上げた。
こうして福姫によって黄金の価値を知った藤太は、たちまち長者になり、福姫と夫婦となって幸せに暮らした。

その後藤太の身元を調べると、十三湊の福島城主だった藤原秀直の子であった。安東氏との抗争で城は落城、父は討ち死、まだ幼かった藤太だけが乳母に抱かれ、戸建沢に隠れていたものと云う。
藤太の身の上に同情した鎌倉幕府は、藤太に藤原頼秀と名を与え、津軽の一城を護らせた…。