神原村(現天龍村)の砂金

あ、金鉱山として書かれていなかったから今まで見落としていたなあ。 長野県の最南端、昨年大鹿村からの帰り道にすぐ東側を通ったな〜

http://www.mis.janis.or.jp/~risoku/MetalMines_of_IidaShimoina.htm

9 神豊太陽鉱山
 国道151号線を新野へ登る途中、ドドメキ川の手前で旧国道へ入り、さらに左折して細い道に入る。三つ目の沢を越えたところに広場がある。そこへ車を置いて、その沢を登る。阿南町との境界になっている沢だ。この沢はよく荒れるようで、すぐ道上の左岸にもかっては坑口が開いていたというが、今は埋まってしまってあとかたもない。沢に沿って20mも行かないところに左手の南側から小川が落ちている。その小川の右岸の少し高いところに坑口が見える。坑口は開いているが縦坑は埋まっており、5mぐらいでつきあたる。この坑道の中は暗いので明かりがないとよく見えない。晩秋に訪れたときにコウモリが2匹飛び出したこともあった。
 ズリはすっかり埋まってしまっているが、坑道の中では今でも黄銅鉱や斑銅鉱を採集することができる。しかし目当ての鉄満重石は採集できないでいる。鉱脈は粘板岩層の中にあり、近くには花崗岩の岩盤もあるので、貫入花崗岩によって形成されたものと思われる。
「太平洋戦争中は稼行していて、近所の女衆も仕事をしていた。銅だったかタングステンだかを掘り出して近くの沢で鉱石を洗っていた」(村松金元さんの家で)という。坑道が2本開いていて、かなりの人たちが鉄満重石と黄銅鉱を採掘していたようだ。『長野県の地下資源』(八木貞助1945)には、「(鉄満重石は)美濃の恵比寿鉱山に次ぐ優良の鉱床である」と記載されている。
 原董さんの聞き取り調査によると、「見遠では金を掘っていた」という人が複数いる。また、『下伊那20世紀年表』(寺田一雄ほか1996)には「昭和15,2,27 神原村(現天龍村)で砂金が発見され、大阪市某資本家が発掘を申請する」とある。見遠で金が掘られていた可能性はかなり高い。
【採集鉱石】黄銅鉱CuFeS2 、 斑銅鉱 Cu5FeS4。他に、鉄マンガン重石(『長野県の地下資源』1945)。

ん〜昭和15,16年の鉱区一覧の砂鉱には神原村の砂金は出ていないようだなあ・・・ 試掘鉱区には金も含まれるようだが。
天竜川は砂金があまり採れないようだけど、このあたりの支流に入ってみるのは面白いかも。昨年もよい感じに盤が出ている川はあったし。