千島列島の砂金

文化年間(1800年代初頭)千島列島(ウルップ・クナシリ)で砂金掘りが行われていたようで・・・
http://www2.lib.hokudai.ac.jp/cgi-bin/hoppodb/record.cgi?id=0D019890000001000&lang=0
画像の解像度が低いけど、砂金を掘ったのはカーブの内側と吹き上げ砂金かな〜? 
どちらの島での砂金採取かまでは図だけでは分からないが、関連資料は
http://russianresources.seesaa.net/category/25385689-1.html
http://hoppouryoudonoshigen.seesaa.net/category/25385652-1.html
あたりに。
他にも、
http://d.hatena.ne.jp/arch74324/20130520/1369045060

 最上徳内蝦夷草紙」に、和人地以外の金産地として浦河とエリモという日高の地名が上げられているのは当然として、驚くべきことには、これと並んで「ラツコ島等に有」とウルップ島があげられているのである。つまり江戸時代にはウルップ島が日高と並ぶ金産地として認識されていたのだ。実際、ウルップ島に豊富な金が埋蔵されているのは昭和7年の調査のとおりだ。
 では、江戸時代にウルップ島で金を採取していたのはだれなのか。当時のウルップ島の状況を考えれば、金を出荷していたのは和人の探鉱集団などではなく、まちがいなくウルップ島「在住」のアイヌであったと考えざるを得ないのだ。
 ウルップ島でその開発に当たっていたのは、日高で金の採取に関わってきた日高アイヌだったのではないか。ひょっとすると、日高アイヌは各地の金資源の探査と採取に関わっていたのではないか。

昔から掘っていたんだなあ。

http://agch.cside.ne.jp/members/yezogeology/gaiden/gaiden7a.html