アイヌの銀

http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20170216 セーリスと銀、というか正しくは“アイヌの銀”。 採掘していたならば記録が残っているかも?
キーワードは“蝦夷 銀山”でいいかなあ? で、検索してみると・・・ http://agch.cside.ne.jp/members/yezogeology/gaiden/gaiden7b.html

金山
松前所在島の中,センケン山,クンヌイ山,ハボロ山等,書に載たれ共,皆芝下金と言ものにて土砂の中に交りたる砂金なり,今はなし,又ウラカハと言所の金山跡あり,是は堀たらば出べきと思われるなり.
其外エトロフ島,ラツコ島等にあり,又,深山に有べきか未開の大国なれば,明細に探索に及び難し,時を得て求むべし.(須藤十郎編)

徳内は金鉱を見ていないようだが,著名な金山は金鉱石では無く,漂砂鉱床であるとしている.外国人宣教師は塊状の金を報告しているが,徳内は砂金としか言っていない.徳内がクンヌイ砂金地を見分したという記録はあるが,ほかの地についてはよくわからない.いずれにしろ,金山については有望との見通しは持てなかったようだ.そうすると,下記銀山についての記述も含めて,伝記中の記述とずいぶん異なることになるが,どうなのだろうか.

銀山
古来より銀山の沙汰はなし,カツクミ山ユウラツプ山にあり,西蝦夷地は深山多し因て奥ゆかしけれども,予未だ到らざれば風説は挙難し.(須藤十郎編)

カツクミは函館市川汲(旧:亀田郡南茅部町川汲),ユウラツプはニ海郡八雲町(旧:山越郡八雲町鉛川)のこと.

蝦夷草紙』(最上徳内 1754-1836)からの孫引きだが、砂金を掘った金山の記述に比べて銀山は“古来より銀山の沙汰はなし”とあるから200年近く前のセーリスの時代には銀山は無かったのかもしれない。
で、あれば、やはりアイヌの所有していた銀は交易で手に入れたもの・・・かなあ?