http://www.town.haboro.lg.jp/about/ayumi.html
17世紀半(明暦の頃) 松前藩羽幌で砂金採取
1690年(元禄3年) 松前藩の藩士及び鉱夫数10名、羽幌で砂金採取
1692年(元禄5年) 羽幌のアイヌ虚説を口実に鉱夫60余名福山に逃げ戻る
1695年(元禄8年) 金堀奉行及び鉱夫20名を羽幌に派遣
1696年(元禄9年) 朝鮮漂人8名羽幌に参着
http://d.hatena.ne.jp/arch74324/
1696年、朝鮮の東莱府に住んでいた李朝の下級官吏である李志恒ら8人は、江原原州にある地方官庁を訪ねるため船で北上したが、強い風にあおられて漂流し、北海道の利尻島に漂着した。かれらは北海道の日本海沿岸を南下し、アイヌ民族と接触しながら、羽幌町で金の採掘を管理する松前藩の役人と面会する。その後かれらは松前城下から江戸、対馬を経て釜山に送還された。この顛末を記したのが李志恒の『漂舟録』である。
1669年のシャクシャインの戦いののち、松前藩はアイヌと結託した和人の金掘りの渡島を制限し、そのため各地の産金地は放棄されていたといわれてきたのであるが、やはり松前藩は直営で砂金の採取をおこなっていたのだ。それは羽幌だけに止まらなかっただろう。
明暦(1655〜1657年)の頃から1669年のシャクシャインの戦いを挟んで元禄年間も砂金採取が行われている。
1692年の“羽幌のアイヌ虚説”は確かアイヌに襲われるといった内容だったと思うが、シャクシャインの戦いの後、松前藩はアイヌを従わせたとはいえ“虚説”が信じられる程度に和人とアイヌの軋轢があったのだろう。
ん〜? シャクシャインの戦い後、松前藩はどの程度金採掘を抑制したのだろう? 禁止?制限? このあたりちゃんと調べたことは無かったな〜